HAPPY FRIDAY!!

7月目標

そこまでやるかと誰かに言わせること

滋賀県大津のいじめ問題がクローズアップされています。

桜塾というクラスの担任をしている身としては、いじめというのは学校に限らずどこでも起こるものだし、大人の世界を見ていてもなくならないものだという意見を踏まえて思うことを主観で述べてみたいと思います。

生徒を見て、「ああこの子変わっているなあ」という子がいます。それは容貌であったり話し方や佇まいであったり、あるいは人との接し方であったりするわけですが、その中で「この子のこういうところは周りの捉え方によってはからかわれたり避けられたりするかもしれないな」と思うところがあります。

実際そういう子に話を聞くと、いじめられた経験が過去にある、とか、今もハミゴ(仲間はずれ)にされているときがある、とか聞くこともあります。

人は優越感により仲間意識を持ったりリフレッシュする生き物です。「自分はできる」と思うことは確かに生きる上で非常に大切なのですが、周りを貶めることによってそれを得ようとするときがあります。
その形の一つが「いじめ」なのだと思います。

これを解決するには私は方法は一つだと思っていて、それがリーダーの働きではないかなと考えています。

変わった子も個性溢れる子も、みんなひっくるめて楽しめるような空間。

それぞれの個性が生かせる素敵なクラス。

自分たちだけでも面白いけど、リーダーとみんながいるここが面白いし好きだと思えるような居場所。

それを作るのに必要なのは学校で言えば先生の求心力とマネジメント力。

根が悪い子なんていないと思うし、悪い悪いと言われているような子ほど1:1で話をすれば意外に普通の子だったなんていうこともよくあります。

集団になると悪くなるというのは、そのコミュニティをまとめる側に原因があると思うんです。

地域がらある程度のマトモなところなら、あとはまとめる側のパワーです。

全国の先生方、ふんどしのヒモを締め直しましょう。

いじめている君へ、もっとおもろいことあるで。もっとおもろいこと教えてくれる人がおんで。

いじめられてる君へ、我慢することないねん。きっと楽しくなる方法あるから。

「いじめ」がなくなる場所を作れるような人を育てていきたい、目標の一つです。

最後に、さかなクンからの言葉を贈ります。

いじめられている君へ

広い海へ出てみよう

東京海洋大客員助教授・さかなクン

さかなクン

 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。

 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。

(朝日新聞2006年12月2日掲載)

さあ今日もカッコいい自分、『理想の自分』目指して、寝る前には自分を褒められるようなNEVER BETTERな1日を過ごすこと。