世界を揺るがすアメリカ大統領選挙の結果、さらに1月に本格始動してまもない中でのここ数日の報道。

 

新聞やニュース以外、近くにいる大人で騒いでいる人をあまり見かけませんが、それは言葉に詰まっているのか、はたまた何も当事者としての意識がないのか、いずれにしても大人が口を開かなければ子どもたちには届くことはありません。

 

今日は、塾のLINEグループでも生徒たちや講師たちに流した、東大卒の国際政治学者である三浦瑠麗さんのブログ「山猫日記」の最新記事のご紹介です。

 

 

 

 

ちょうど教えている高校生で、世界史を受講している生徒がいて、まもなく受ける大学の試験が筆記であるため、アメリカ史をとりあげて色々と話をする機会を取りました。

 

今起きていることを学ぶには、過去にどういった背景があり、どういう理由で何が起きたのか、そこにいた人たちがどんなことを考えていたのか、過去から今に繋がる物語があります。

 

 

眞岡先生が、「以前の選挙のときにやったような勉強会をしましょう!」と躍起になっていましたが、そのためにも各自が今以上に、まさに今起きている世界の出来事を知ることから始めたいと思うのでした。

 

 

さて、私が毎月、ファシリテーションを学ぶのに参加させていただいている、大阪ファシリテーション部のメンバーで、市内で不動産業を営んでおられる西尾さんという先輩が話されていたことを載せて、今日のブログの締めとしたいと思います。

 

 

 

<ほどほどにどうぞ>
その主張の中身がなんであれ、その視線の方向がどこであれ、自らの『正しさ』を振りかざした瞬間に、邪悪さの影はちらつき始める。
そして、自らの『正しさ』に酔い始めた瞬間、その心地よさから人は逃げることが難しくなる。

 

アンチ◯◯でも、親◯◯でも、関係ない。
過ぎれば、邪。

 

内容はバラバラでも、誰もが等しく
「正しいのは我々だ。」
「相手こそが間違っている。」
と信じ、決して己を疑わない。

 

そんな状況は、激しく、騒がしく、賑やかではあるけれど、どう転んでも、ろくなことにはならなさそうだ。

 

少なくとも、楽しくないし、面白くもない。
『ささやかな幸せ』とか『平和な日々』とかからは、遠ざかるばかりだろう。

 

酔っていいのは、ほろ酔いまで。
泥酔も陶酔もろくなことはない。
最後は吐き気がするだけだ。

 

なにごとも、ほどほどに。