こんにちは!
桜塾の前田です。
アイコンもすっかり夏モードです。
今日はにわか雨に打たれてずぶぬれになりましたが、逆に涼しくて気持ちがよかったです。
面談のあったお母様も同様で、二人して「ツイてないですねー笑」なんて話をしていました。
そんな今日のブログは『客観性を持つことの大切さ』です。
小学生の授業にて、「客観性」とは何かという話になり、ふと考えました。
「客観」について
①客観的であること、と、
②客観的であることによる効果、
という2点についてお話したいと思います。
まず①客観的であること、とは、簡単に言うと誰が判断しても違いがないということです。
「Aくんは頭がいい」とか「Bくんは努力家である」という文章は全く客観的ではありません。
また、「日本は安全だ」とか「宇宙は広い」というような文章もまた、一見客観的のようではありますが必ずしもそうだとは言えません。
では、客観的な文章にするためにはどうしたらよいのでしょうか。
最もわかりやすいのは、数値化です。
「Aくんは今回のテストで平均95点だった。そして学年で1位だった。前回も同様だった。」
「Bくんは毎日誰よりも一番遅くまで残って練習をする。家に帰ってからも毎日決めたメニューの自主トレをして、さらに振り返りのノートを書いている。」
このように、数値にして表すことで、「誰が見ても違いがない」文章ができあがります。
同様にそれは、「事実」をありのままに述べている文章であることがわかります。
つまり、客観的である文章とは、誰が見ても(個人の見方で)違いが出ることなく、事実だけを述べている文章のことである、と言えます。
では2つ目の、客観的であることによる効果です。
客観的であるということは、前述したとおり、誰が見ても違いがないわけですから、それゆえに、共通して通じる表現である、と言えます。
例えば、違う国から来た人が、英語を通じてコミュニケーションをはかる際、英語特有の表現を知っていればそれは客観的な表現となり、相互理解がスムーズになります。
また、もともと同じ言語であっても、客観的な表現を使うことによって、相互理解がよりスムーズになることがあります。
例をあげると、相手が特定のスポーツが好きであれば、何かを説明するときにそのスポーツの話題を用いれば「わかりやすい!」となるのはわかりますよね。
私は先日、やたらとプロレスが好きな人たちがいて、仕事の話を全てプロレスで例えるので全然わからず、自分がもっと客観的になる必要を感じました。
また、最近はアニメのワンピースがやたら好きな人が多く、そのときは5分に1回ワンピースによる例えが出てきたので非常にやりづらかったです。苦笑
客観的であることはつまり、コミュニケーションを円滑にすることに繋がります。
言い換えれば、客観的=共通言語を持っている、とも考えられますね。
客観的の反対を主観的といいますが、主観的な人はすぐに「自分は~だと思う」とか、「私の考えは~」という発言をします。
客観的になることで、自分の意見を押し付けるだけではなく、相手と共感し、それが結果として自分自身を見ることにも繋がりますね。
そのメリットを考えて、「自分の意見は偏っていないか」「下手なフィルターを使っていないか」ということを意識し、物事を客観性に注目してほしいと思いますね。