8月折り返し!
今日も元気イッパイ!!
今月の目標
期限を決めること。
終戦記念日です。
少し真面目な話を。
太平洋戦争が終結し、今日で66年がたちます。
実際に戦争を経験した人たちの世代が徐々に少なくなっており、実体験を直接、生の声として聞けることも少なくなっています。
特に今の生徒たちの世代は、戦争そのものが教科書で学ぶ昔にあった出来事、おじいちゃんたちから聞いた話しをさらに又聞きするような自分たちからは遠く離れた話、のように感じることかと思います。
老人を敬え、年長者を尊敬しなさい、
この最たる理由は、自分より長く生きているというそのことが、経験や知識、知恵といったものを多く知っているからであると思っています。
だから30、40代を含む私たち若い世代が、老人たちの持つ「命のバトン」をしっかりと受け継がなければいけない。
老人たちが知っている実体験を、彼らが生きている間にしっかりと語り継げるように受け継がなければならない。
これは今60代で現役大手予備校講師をしている恩師の言葉です。
「命のバトン」
歴史を学び、その経験を学び、そして今を生きる世代に共有し、次の世代を担う子どもたちに伝えていくことをもっと考えなければいけない。
そのために私が思うのは、老人を敬える社会を作っていくことだと思います。
老いることを悪いこと、害であることのように扱う風潮、ありますよね。
アンチエイジングなどの言葉に代表されるように、年を取ること、老けていくことは忌み嫌われることであるような社会です。
実際、昔のように体が動かなくなったり、色んな部分で老いを感じ、嘆く気持ちもわかります。
私だって年を取らないように日々のトレーニングや勉強、ケアはやっていますしね。
しかしそのことと、「老い」てしまった人、すなわち「老人たち」を蔑んだり、厄介者として扱うことはまったく別物だと思います。
今、お年寄りが尊敬され、生きがいを持って生きられる社会であるといえますか。
このブログを読んでいただいている人たちはおそらく、老人側ではなく、バトンを受け取る側の人であることがほとんどでしょう。
考えてみてほしいのは、心から「老人を大切にしよう」と言えているかということです。
電車でおじいちゃんおばあちゃんに席を譲る姿に「お情け」的な感情は働いていませんか。
情けという感情は横の関係ではありません。上から下に向かってベクトルが向いている、本来敬うべき相手に対して全く逆の構図なんです。
福島原発の事故で特別避難地域に指定された村で、「お墓に避難します」という遺書を残して首吊り自殺をした93歳の老婆の話を知っていますか。
故郷に住みたい気持ちもあったでしょうが、この老婆が自分のような年寄りが一緒に避難することで周りに迷惑をかけてしまうことを苦にしていたという話もあります。
老人を大切にしないという社会の風潮と、「現在」だけを見て、「未来」を語り、それまでの「過去」すなわち「歴史」に対して尊敬の念を持たないことは現代において似通っていることだと思います。
こんな社会に未来はあるでしょうか。
「命のバトン」をつなぐためには、老人を敬い、老人たちが誇りを持って生きられるような社会を作っていかなければいけない。
そのために、年を取ることに対しての考え方も変えていく必要があると思います。
誕生日のときの記事なんかで言いますが、私は年を取ることが好きです。
なぜか。
それはそれより前の自分よりも確実に成長した自分と出会えるから。
年を重ねることは知恵を重ね、成熟していけることだと思っているから。
体の衰えは自分の努力しだいである程度は何とでもなります。(努力を怠りただ年のせいにするのは愚の骨頂。言い訳以外の何でもなし。)
ゆえに自分より1年でも長く生きた人にはそれだけで尊敬の念を持ちます。
同じように、年長者への畏敬の念は忘れません。
絶対に何か自分の知らないこと、勉強になることを知っている、それを伝えてもらえるように関わりたい、と思っています。
それが「命のバトン」を引き継ぐことにつながると思っているからです。
今の時代を担うわれわれだから、忘れてはいけないことかな、なんて終戦記念日にこじつけて書いてみました。
こんなことを言ってますが、私自身実はここ数年90歳を超えるうちのじいちゃんに会えていないので、今年中には会いたいです。
うちのじいちゃんが書いた自叙伝(戦争体験記とも言えます)もあるので、今度またバトンとして紹介します。
ではみなさま、先祖の霊にお参りをして、まだじいちゃんばあちゃんが健在な人は肩もみでもしてあげましょうね!
今日も素敵な1日になりますように!