土曜日も元気★
11月目標
期待を超えること
紀元前450年9月12日、アテナイの名将ミルティアデスはマラトン(Marathon)に上陸したペルシャの大軍を奇策で撃退した。
マラトンの戦いである。
勝利というエウアンゲリオンをアテナイの元老に伝えるためにフィディピディス(Philippides)という兵士が伝令に選ばれた。フィディピディスはマラトンから約40km離れたアテナイまでを駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり」と告げた後に力尽きて息を引き取ったと言われている。
この伝承はヘロドトスの『歴史』によるとされ、アテナイは現在のアテネとされる。
上述の故事を偲んだフランスの言語学者ミシェル・ブレアルの提案により、1896年にアテネで開かれた第1回オリンピックにマラトンからアテネ競技場までの競走が加えられた。
これがマラソン競走の始まりである。
1982年より、故事にちなんでアテネクラシックマラソンが開催されるようになった。コースはマラトンよりアテネの競技場までの42.195kmである。
1997年の世界選手権と2004年のアテネオリンピックはアテネクラシックマラソンと同じコースが使用された。
日曜日はついに、マラソン。
日が近づくたびに、まあたぶん行けるやろと思いだし、前日の今日も朝8時半から夜7時まで授業をし、そこから飲みにいきました。
上記のネタはWikipediaから抜粋です。
ちなみに、マラソン競技でスタートしてからゴールするまでに最も長く掛かった記録は、日本の金栗四三が記録した、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3である。
金栗は1912年に開催されたストックホルムオリンピックのマラソンに出場したが、レース途中に熱中症になり、昏睡状態に陥った。このためマラソンコース付近にあった農家に保護されたが、意識が戻ったのは翌日の朝であった。その後、金栗は棄権の申告をせずに帰国し、大会関係者も一連の事実を把握していなかったので、記録上は競技継続(競技中に失踪し行方不明)のまま、大会日程を終了した。
時は流れ、1967年にストックホルム市がオリンピック開催55周年を記念する式典を開催することになった。当時の記録を調査したオリンピック委員会は、出場した選手のうち金栗のみが、完走も棄権もしていない状態であることを発見した。このため委員会は、改めて棄権するか完走するよう金栗に要請を行った。金栗はストックホルムへ赴き、式典の中で当時のコース(実際には競技場内の100メートル、残りの距離を消化した扱い)を走ってゴールし、完走に半世紀以上という公式記録が残された。
明日は4時間内でないと不合格になります。
頑張れわれわれ!
さぁ今日もかっこいい自分、『理想の自分』目指して、寝る前には自分をほめられるような1日を過ごそう。