尊敬する先輩塾長であるどやさんブログより拝借した、「世界最強のオヤジ」動画を。
5分ほどなので、時間のある人はどうぞ。
動画見る→下の解説読む→動画もう一度見る という手順で。
「世界最強のオヤジ」http://www.asanikki.net/archives/51123442.html
ちょうど私が教えている生徒に、峻って四肢不全の生徒がいるんだが、この動画の息子みたいなかんじ。
峻とは3年来の付き合いになるけど、ウチの塾でなく家庭教師なので、毎回家にいくたびにまずやるのは机まで手を貸すこと。
出会ったころは峻も中学生で、お姫様だっこ(?)するのも余裕だったけど、今では体も大きくなっていっている。
その上峻は、言語障害も併発しており、慣れないと言葉が聞き取りにくい。
しかし、いつも私がいくと、絞り出すような声で「こんにちわ」と言ってくれ、帰るときには「ありがとう」と言ってくれる。
自分だけでは移動したり、コミュニケイトすることが、我々に比べるとはるかに難儀なのだ。
そんな峻に対して、出会ってしばらくは「うわぁ大変やなぁ」とか「将来どうするんやろうなぁ」などと思っていた。
けどこの3年見てきて思ったことは、私が峻に対するそういった気持ちって、一般的に健常者って呼ばれる自分たちが持つ、ただの同情の気持ちだったんちゃうかなぁって思うようになった。
最近ふと思ったのが、できないことって悪いことなんかな?っていうこと。
あるとき見つけた言葉に、「障害を持った人は神に特に愛された『天使の子ども』なのです。そして、その親は神様の子供を預かる資格があり、どんな子どもでも育てる力のある選ばれた親たちなのです。」とあった。
あぁ。
まさにそのとおり。
障害者って呼ばれる人に対し、「かわいそう」と思うのは、ただの同情でしかない。
その言葉の裏にあるのは、「自分じゃなくてよかった」っていう本音と違う?
峻のご両親にしても、世界最強のオヤジにしても、私が思うのは、「自分の子どもがたとえ障害を持って生まれてきても、めっちゃ『天使の子ども』扱いしてやろう」ってこと。
そして、そうなっても大丈夫なように、普段から体を鍛え続けて、いつまでも向上し続ける自分であること。
これが自分がこれから先もずっとやるべきことの1つ。
そしてもう一つは、「障害=できないことがある」って意識を変えて、自分の方が障害を持つ人よりできることが多いんなら、それに対して本気で取り組もうよっていうこと。
カゼひいて初めて健康のありがたみがわかることも大事だけど、そうじゃなくて、今自分があることに価値を見出す生き方を。
そして障害を持つ人に負けないくらい、毎日を全力で生き続けること。
それが健常者と呼ばれる自分たちのやるべきことであり、当然の義務じゃないかなと思う。
「できないことに「カワイソウ」って思う暇があるんなら、おまえが今やらなあかんこと、やるべきことを本気でやれ。話はそれからや、と。 」
そんなかんじで私の生徒たちには話してます。
さぁ、夏休み始まったよ。
さぁ、今日もカッコいい自分、『理想の自分』を目指して、寝る前には自分を褒められるようなNEVER BETTER(これ以上ない)1日を送ろうか!!