こんにちは。まえだです。

今日はネットで見つけた素敵な言葉。長文ですが。笑

現在コメンテーターなどでも活躍される元陸上選手の為末大さん。

広島市佐伯区出身の男子元陸上競技選手。400mハードル日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーター・タレント・指導者などで活動中。株式会社R.project取締役。株式会社侍 代表取締役。Wikipediaより。

長文ファンの皆様おはようございます。
素直さとは何かを考えていくと、最終的に自分の心に気がついていることに行き着くと思います。例えば、友達が自分の欲しかった鞄を持っている時「羨ましい」と思うのが人間の性です。言葉にして「羨ましい」と言える人が素直な人だと言われますが、仮に言葉にしていなくても「自分は今羨ましいと思っている」と気づくなら素直な人です。


そのような気持ちに気づけるのは、気持ちの即座否定をしないからです。そんなふうに思ってはいけないという「考え」が刷り込まれている人は自分の気持ちを否定します。長く否定していくとそのうちに気持ち自体に気づかなくなります。しかし、気持ちがなくなったわけではないですから、違う形で噴出します。雨漏りしている時に応急処置をしても、違うところから漏れてくるようにです。

「羨ましい」は「あの鞄みんな持ってるから、ちょっとね」という言葉に置き換わります。心の中の認知不協和を解決するために、現実の否定がはじまるわけです。


人間はまず「感じて」「行動」します。行動はコントロール可能です。衝動的にその高い鞄を買うことを抑制することもできます。羨ましいから相手に意地悪をすることも抑制できます。しかし、その人に対し羨ましいと思う気持ちは抑制できません。感じてしまっているからです。しかし、その感じ方自体を否定するような育てられ方をした人はそう感じていいことと、そう感じてはいけないことを分けています。「あの人嫌い」と、「嫌いだから意地悪する」は別の話なのですが、嫌いと思う気持ちを否定した場合、自然に湧き上がる自分の気持ちを、頭で考える自分が即座に否定する構造が出来上がります。

もともとあった「感じる自分」を、後天的にインストールした「考える自分」が否定しつづけると、自分の気持ち自体がわからなくなります。
このような過去の「抑圧」体験によって素直さが育まれるかどうかが決まり、それが自己肯定感につながっているというのが私の今の所の分析です。元々の自分の否定をしつづけるわけですから当然だと思います。


ただ、素直にうまくなれることで自己肯定感をある程度育むことも可能だということです。しかし、乗り越えなければならないのは「感じる自分」を抑圧する「考える自分」です。一体どんな「考える自分」を外界から取り込んだのかをメタに認識できない限りは、これから逃れられません。感じる自分に良い悪いなどなく、ただただ「へー、そう感じるんだー」と眺めるだけです。

大人になった後での、嫉妬も、怒りも、悲しみも、素直な気持ちを抑圧せざるを得なかった過去に起因するのではないかという気がしてきています。

どうでしょうか。

大人になっても、なんだかうまく自分の気持ちがコントロールできなくてモヤっとすること、ありますよね。40歳を超えてもまだまだそういうとき、ありますもの。

為末さんの言葉を聞いて、自分が感じている素直な気持ちを受け止めて、その気持ちが昇華されるような心のあり方をできるようにしていきたいと思いますね。