どーも!!

 

松村です!!

 

 

知っておいて損は無いシリーズ第二弾!!

 

今回は現代文で頻出のテーマである『日本と西欧の対比』です!!

 

現代文の文章において、対比は必ずと言ってもいいほど、文章中にて発生しています。

 

私の感覚ですが、1・2を争うのが、この『日本と西欧の対比』です。

 

 

日本と西欧の違い

 

日本と西欧において、現代文では様々な対比が行われますが、

中でも『曖昧さと明確さ』の違いがよく出されます。

 

日本は物事の境界が曖昧で、

西欧は物事の境界を明確に示す。

 

こういった違いです。

 

 

日本と西欧の『家』を例にとって考えてみる

 

『家』を例にとってみると、その違いは一目瞭然。

 

現代の日本における西洋風の住宅ではなく、日本古来の住宅で考えてみましょう。

 

日本独自の文化として、『襖や障子』というものが存在します。

 

日本の住宅において、襖は仕切りであり、取り払えば、ひとつの部屋として機能し、

襖を閉めることで、部屋を二つ作ることができます。

 

対して、西欧の家は、明確に部屋が分かれています。

今の日本に溢れている西洋風の住宅をイメージすれば分かりますが、

和室以外は部屋ごとに壁で分け隔てられています。

 

これが日本と西欧の『曖昧さと明確さ』の違いを如実に表しているといえるでしょう。

 

 

『間』や『奥』という言葉

 

日本と西欧の違いは言葉にも現れています。

 

日本には『間』や『奥』という言葉が存在します。

 

間とは、空間を表しますが、必ずしも場所的な意味ではありません。

時間的にも間という言葉を使います。

「あっという間」や「間が悪い」など色々です。

 

さらに奥という言葉も意味の境が曖昧です。

 

「どうぞ奥のほうにお進みください。」と言われ、

我々は案内されますが、

奥とはどこを指すのでしょうか。

入り口から遠いところくらいの認識しかありません。

 

そんな具合に日本語は境界が曖昧になっています。

 

 

宗教観にも繋がる曖昧さ

 

 

西欧と日本を対比させる際に欠かせないのが宗教観です。

 

日本は何でもかんでも神様でOKな文化です。

物にも神様が宿るくらいですから、かなりその定義は曖昧です。

 

しかし、西欧で主流であるキリスト教は唯一神という考え方。

 

神様は1人(ただしくは1柱)です。

 

その考え方の違いも日本と西欧の違いとして現代文ではよく取り上げられます。

 

 

 

最後に

 

日本と西欧の対比において、『曖昧さ』が非常に大切なキーワードとなります。

 

言い方は違えど、境の無さというものが主流となります。

 

そのあたりの予備知識があるのとないのとでは読みやすさにも違いが出てきます。

 

しかし、要注意なのが、『絶対というものは存在しない。』ということです。

 

今の知識はあくまで前提として、実際には文章中から根拠を読み解かねばなりません。

 

それを忘れずに、今回のテーマを読解に生かしてほしいです!!

 

 

松村でした!