どーも!!
松村です!!
最近読んだ文章で、個と集団の話がありました。
とても興味深い内容でした。
これもよくある西洋と東洋(日本)の対比の一種なのですが、
日本という国、日本人という人種の一般的な傾向として、
「周りと同じように振舞うこと」を求める性質があります。
日本の教育はまとまることを良しとしています。
統一されている。
これが良いことだと。
当然、そうすると個性は集団に埋没してしまいます。
これが、いじめなどの原因だとも言われています。
つまり、集団に迎合できないものは、はじかれる。
昔からある、村八分などもそうでしょう。
よく昔はいじめなんかなかった、という人がいますが、
世界中、日本中、昔から形を変えていじめは存在していると言えます。
日本の学校という場所で、いじめが起こるのも、必然と言えなくはないかもしれません。
じゃあ仕方ないで済ます?
当然、そんなことはできません。
その文章で提案されていたことは、複数の集団にちょっとずつ属すことでした。
これには色々なメリットがあります。
一つだとそこに完全に迎合するしかないですが、複数であれば、自分が妥協するのも少しで済みます。
複数の集団に属すことで、より合った集団を見つける確率が高くなります。
対して、現実的に不可能であるとの指摘もあります。
そもそも基本的に日本の社会は教育でも、仕事でも一つの集団に属すことが前提です。
特に、教育では複数の場に属すことは、そもそも前提としていません。
例えば、算数はこっちのクラスで、国語はこっち、などは基本的に無理です。
もしかすると日本においては個を生かしつつ、集団に属すことは、矛盾するのかもしれません。
塾でも、合う合わないという話は正直良くある話です。
これからは、より個が選択をしやすい仕組みを取り入れていく。
それが多数になり、当たり前になれば、いじめのような集団からの排除は減っていくんじゃないかと、
そう思った松村でした。