こんにちは。
日曜日なのでひたすらに事務作業と戦っている前田です。
今日はセンター試験2日目ということでしたが、天気はあいにく今年最大の寒波の到来により、まさかの大雪。
知り合いの車屋の社長さんも、事故の多さでレッカー移動を頼むお客さんが非常に多かったと嘆いておられました。
センター試験にのぞんだ生徒たちがそういった外的環境に左右されていないか心配です。
さて今日は前々から書こうと思っていた、教育における「ダブルバインド」についてのお話です。
ダブルバインドとは、矛盾したコミュニケーションの形態の1つであり、以下のような例があげられるもの。
①「黙ってないでなんとか言ったらどうだ!」と言われたので 口を開いたら「言い訳など聞きたくない!」と余計に叱られた。
②失敗をして叱られた際に「なんで失敗したのか分かってる?」と聞かれ、 「○○だからです」と理由を説明したら「それが分かっててなんで失敗するんだ」と余計に叱られる。
③上司・先輩に相談したら、「それぐらい自分で考えろ」と言われたので 自分で考えて行動すると、後から「なんで勝手に実行したんだ」と叱られる。
教育現場における「ダブルバインド」は非常に多く、しかもそれをやっている側(親・教師)もやられている側(子ども)も気づかないという点でより深い問題となることがあります。
特に多いのが支配的、または過保護、過干渉な親・教師の場合。
そういった親・教師は自らの行為を、
「子どものために」という言葉で正当化します。
その結果、
「子どもが失敗しないように」
「子どもが挫折しないように」
「子どもが安全であるように」
という理由から、様々なことを先回りして決めてしまいます。
一方で子ども側も、「自分のためにやってくれている」と(望んでいるいないに関わらず)その行為を(結果的に)受け取ってしまうことが多いです。
ここまで、よくある話のように聞こえますね。
さて、この場合における問題にはどのようなものがあるのでしょうか。
一番は、子ども自身が「自分で考え、決断をする」という機会が失われること、そしてさらに「自分の言葉や行為に責任を持つこと」ができなくなるということです。
こういった子どもたちは、自分に自信が持てなかったり、大切なことを自分で決めることができなかったりといった人間に育っていきます。
別の視点から問題を捉えてみます。
親・教師が「子どものため」と、色々してあげたり口出ししたりすることが適切に行われなかった場合、それは心の奥に「親や教師がなってほしい「子ども・生徒像」にならなければ受け入れられない」という思いがあるということなのです。
「失敗することはダメなこと」
「挫折することはダメなこと」
「安全でないことはダメなこと」
という思いがあり、その結果子どもたちは「失敗しないように」「挫折しないように」「安全であるように」という言われた通りの選択をするようになります。
こういった子どもたちは、失敗や挫折を経験することがなく成長し、またそれらを過剰に恐れるようにさえなります。そうなると、自分を必要以上に責めたり、自己肯定感が低く(自分はダメな人間だと思いこむように)なったり、自暴自棄になったりという状態になることもあります。
ダブルバインドと統合失調症の関係性が強いと言われるのはこのためです。
まとめると、
「あなたの人生なのだから」という言葉で、子どもたちが何かを決めようとした際に、不満そうな反応、納得のいかない表情、先回りした答えを用意してそちらを選ばせることは、教育現場におけるダブルバインドの典型であること。
そしてその先に待ち受ける問題は、子どもの自己肯定感やじりつ(自律・自立)する機会を失くしていくことから、将来的に大人になる成長を妨げることに繋がるということです。
程よい指導や指示、保護や干渉は必要ですが、それが行き過ぎていないか、また「本当に子どものためか」ということをいつも考えることが、われわれ大人側が考えるべきことだと思います。
むしろ、失敗や挫折を経験させること、それにより心身にダメージを受けることは、生きるうえでは大切なことであると思います。
最近のブログではこういった「生きる力」について書くことが多いように思いますが、これからの荒れ狂う波の中を泳がねばならない子どもたちをいかに指導し、成長していってもらうか、本当に考える日々です。
またダブルバインドについてはどこかでお話したいと思います。
それでは明日からまた心機一転頑張っていきましょう!!