こんにちは。
桜塾の前田です☆
今日のブログはややデリケートな話題となります。
特定を避けるため、年度や場所や学年を言及するのを避けますが、数年前、ある保護者の方から相談ごとを受けたことがありました。
内容は、自分の子どもが「性同一性障がい」であるということ。
親子間であってもそれを隠すこともある中、他人である私にそれを打ち明けてくれたということの重大さを感じながらお話を聞きました。
その当時、その子の様子がおかしいなという時期があったため、ご家庭に対して色々話をしていた延長で、その子が通う学校で、同性の子に恋愛感情を抱いてしまったということが原因だとわかったのはその後でした。
直接、本人から私に何か伝えてくることはありませんでしたが、その当時、そのことをわかった上で本人への話をしたり、受験を含めた指導をしたことで、その子は無事に大学に進学していきました。
最近でこそよく耳にするようになったLGBTという言葉ですが、まだまだ社会的な理解や、学校などでの対応についてははっきりした指標などはありません。
海外に住んでいたとき、ある現地の友達が別の友達を紹介してくれたときに「彼はゲイだよ」とあっけらかんと伝えてきたことがありました。
それ以降、私自身少しずつそういったセクシャルマイノリティ(性的少数派)に対しての理解や接し方というものがわかってきました。
わかってきた、というよりも「別に特別なことをしない」というほうが正しいです。
彼らも恋愛の対象や「男・女」という自己認識が違うだけで、別に何も変わらない、普通の人間なのだということ。
もちろん、子孫を残すという点での生物としての役割は果たせないこともあるかもしれません。
それでも、例えば音楽や美術などの文化的な面、またはノーベル賞や社会貢献といった誰かのためになる功績という面において、そういった人たちが素晴らしい偉業を残すかもしれませんよね。
実際、公表していないだけでこれまでの有名人の中にもセクシャルマイノリティな人たちは数多くいます。
むしろそういった人たちだからこそ、自分がマイノリティであることを自覚し、人のために何かしようという思いが強いことだってあるでしょう。
身近な友達や、自分の子どもがもしセクシャルマイノリティと呼ばれる人間だった場合、どのように接してあげるか、それをイメージする機会を早めに持っておくのがよいのではないでしょうか。
ふと、SNSで流れてきたニュースを見て感じたことでした。
同性愛者の入店禁止を求めた「お客さまの声」に対して本部が怒りの回答