コンバンハ★

まもなく日が変わろうとしている本日20日。

桜塾のMAEDAです(・∀・)

 

十日前のニュースで、石牟礼道子さんの訃報を聞きました。

同じ九州、長崎で生まれ育った私の海を挟んで向かいにある熊本の作家で、

日本が高度経済成長期にある副産物として生まれた公害の一つ、

「水俣病」の現実を書いたノンフィクション小説です。

 

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ここで知識補足のため水俣病についても少し述べておきます。

 

1950年、今から70年ほど遡った当時は高度経済成長期と呼ばれ、

会社が物をたくさんつくり、人々が買えるようになった時代でした。

政府は日本の経済が大きくなるよう努力しましたが、

一方で自然環境を守ることは後回しにされ、

汚れた水や煙が人々の健康を損なう「公害病」が相次ぎました。

58年に水俣病の原因がわかった後も9年間、

工場は汚れた水を流し、政府も止めずに被害が広がりました。

 

同じ時期に、阿賀野川が流れる新潟県で新潟水俣病が起きました。

四日市ぜんそく(三重県)、イタイイタイ病(富山県)とあわせて

「四大公害病」といいます。小学校でも習いますね。

 

その他、こちらのサイトがわかりやすいかと思います。

水俣病について知っておいてほしいこと

一般社団法人 水俣病センター相思社のサイトより

 

そんな時代に石牟礼さんは、水俣病で苦しむ患者さんたちに寄り添い、

1969年に上記の「苦海浄土(くがいじょうど)」を通じてこの問題を告発し、

その後の水俣病を始めとした反公害運動の口火を切った方です。

国語の教科書にもこの話が載ったこともあります。

日本で唯一ノーベル文学賞に近い作家とも言われていました。

 

 

嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。

うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい。

親さまに、働いて食えといただいた体じゃもね。

 

うちは情けなか。

箸も握れん、茶碗もかかえられん、

口もがくがく震えのくる。

付添いさんが食べさしてくらすが、そりゃ大ごとばい・・・

 

「おとろしか。・・・人間じゃなかごたる死に方したばい、

さつきは。・・・これが自分が産んだ娘じゃろかと思うようになりました。

犬か猫のしにぎわのごたった。ふくいく肥えた娘でしたて。・・・ 」

 

 

文章を読んで泣きそうになる、ということはここしばらくありませんでしたが、

日本の良心・宝とも言える彼女の訃報を聞いて改めて、自分も読み直してみるとともに、

各スタッフにも一読し、また生徒たちにもすすめたいと思いました。