こんばんは。
寒さが増してきていますが、センター試験も目先のこの時期、皆さま体調など崩しておられないでしょうか。
野上先生が冬期講習中、持病の薬を飲むのを少々サボっていたことが判明し、一人の体じゃないんだときつめに話したような今日この頃。
改めて『対話』の必要性を日々感じずにはいられません。
生徒と講師の対話。講師同士の対話。講師とご家庭間の対話。ご家庭での親子、家族の対話。
対話がなければ、お互いの関係性が強くなったり深まったりすることはありません。
よく、「あの人は合わないから話したくない」とか、「嫌いだから最小限の話しかしない」とか言っている人がいます。
生徒たちならばクラスメイトの一人とか、部活のメンバーにいる、などでしょうか。
大人ならば地域の集まりに来る一人とか、職場の誰か、などでしょうか。
単に過ごす環境を共にするというだけならばそれでも構わないでしょう。
しかし、お互いの関係性を構築していくことが、その組織やチーム(基本的に3名以上は全て個人ではありません)にとっての目的を達成することに不可欠なのであれば、その状態が良くないのは言うまでもありません。
これまでの人生を振り返ると、誰とでも仲良くできると言われてきた私でも、「この人苦手だなあ」「なんでこの人はこういう考え方なのだろう」と思うような出会いもありました。
そこで考えたのは、この人と一緒に所属しているチームが向かうべき方向が明確なのであれば、好きでも嫌いでも、合っても合わなくても『対話』を繰り返さなければならないということです。
「対話」とは何も、仲良く楽しく話すことばかりではありません。
相手と話すことで相手のことを知ることはもちろんですが、それ以上に大切なことがあります。
1、未熟な自分の具体的な改善点に気づく
自分で完璧に全てのことをやれている人はいないし、何かの組織に属しているならなおのこと、自分の未熟な部分を良くしていく必要を感じる機会があります。
対話の中でそれを感じることができます。
2、共通の目的に向かって何をすべきか見えてくる。
対話があると、相手の動きや考えが見えるようになってきます。
そうすると、「なぜ相手はここでこういう動きをしたのか」ということを、組織の目的を軸に考えるようになり、たとえ自分とは相容れない考えであっても、それが大きくは同じ方向性に向いていることがわかれば、「それはそれ」と相手を認めることができるようになります。
3、認めた先にあるのは相互理解
相手のことを理解できるようになると、「違っていることはいいことである」という考えが生まれます。友達はどうしても同じ思考のメンバーが集まることが多いですが、仲間や同志は違います。
考え方が違っても、同じ場所に集い、同じ時間を過ごすのは、成し遂げたい同じゴールがあるからなのです。
この話は何も、クラスづくりや部活などのチーム作り、あるいは職場づくりにのみ当てはまるものではなく、受験における塾とご家庭、そして生徒たちを含むチームにも当てはまることだと思っています。
チーム桜塾2016も残すところ2か月となりました。
過去最高のチームを作るべく、残りの時間を大切に過ごしていきたいと思います。
毎日が対話!!