昨日、ふとパスポートを見つけたのですが、期限が切れていました。
がーん。(といっても海外旅行の予定はないですが)
日本では免許証が身分証明書として最もポピュラーですが、海外において日本人の身分証明書といえばパスポートです。
特に日本人のように、20代30代でも10代と間違われる国民は、どこへ行くにもパスポートが必要です。
おそらく今の私でも、パスポート提示を求められるでしょう。←真面目に。
さて、昨日松村先生が記事にしていましたが、
アイデンティティについて、私も思うところがあるので補足しておきます。
辞書を引くと、アイデンティティとは「自己同一性」と出てきます。
全く何のことやらわかりませんよね。
私も中学高校時代、ちんぷんかんぷんだったのをよく覚えています。
毎年、この言葉が出てくるたびに、生徒達にどのように説明するか考えていました。そして最近は以下のように話すようにしています。
identity の語源は、idem というラテン語である。
idem には「同じもの」という意味があり、そこから派生した言葉の一つがidentityである。
他にも、identical という言葉は「AとBはidenticalだね」つまり、「AとBは同じものだね」というように使える言葉もある。
また、identify という動詞は「同一(人)物であると確認する」という意味になる。
identity card(アメリカではidentification card)のことを身分証明書、というのもうなづけますよね。
では、自己同一性というのは何なのか。
昨日松村先生が「自分であること」と言っていましたが、では何をもって「自分」となるのか、そこを考える必要があるかもしれません。
松村先生を例にして考えてみましょう。
・吹田出身であること
・中学は野球部、高校でソフトボール部に所属していたこと
・高3にあがったときの偏差値は30台であったこと
・当時の私の授業、午前中にあるときはほとんど参加しなかったこと
・最近ようやく朝に強くなってきたこと
・最近車を買ったのでバイクに乗らなくなったこと
・それにより髪型をキメてくるようになったこと
・小学校のときからのあだ名がまっつんであること
まあ、あげればキリがない彼の特徴やこれまでの出来事などです。
これら全て、松村先生という人間を構成している部分なのはわかりますか。
つまり、identityとは、何か絶対的なもので言い換えられるのではなく、色々な要素が組み合わさり、その個体をさしているのだと考えられます。
昨日のブログで、他者が思う自分もまたidentityである、と書いていました。
これについてもふれておきましょう。
人は一人ではなく、必ず誰かと関わる中で生きています。
であれば、いつも周りからの自分の評価と向き合っていく必要がありますよね。
松村先生を例にして考えてみましょう。
生徒達に聞いてみました。
「松村先生ってどんな人?」
・おもしろい
・顔色が悪い
・親切
・説明がわかりやすい
・たとえが上手い
・話にオチがないときがある
・頑張ってくれてる
色々ありましたが、つまりこれもまた、松村先生という人間を作っている要素である、ということです。
もし他人からの評価が実際とズレていても、それが他者との関わりの中=社会の中での自分であることに変わりはないのですから。
人間がそのズレに悩むのもわかりますよね。
こうありたい自分と、実際の自分との差、コンプレックスや悩みの話にも広がります。
人がアイデンティティを確立させることは、自分がどんな人間なのかとはっきり理解することです。
自分を理解し、自分のやりたいこと、成し遂げたいことをはっきりと理解すれば、人生はもっともっと楽しくなります。
私自身、ようやく成すべきことが見えてきたように思います。
桜塾に関わる人間が皆、そうなっていけるよう、もっともっと頑張ります。
では!!