日曜日!
昨日、本日から戦いが始まる生徒と、そのお母様にメールを送りました。
今日、無事に送り出したというメールとともに、
私(お母さん本人)もまだまだ頑張らないと!
という文面のお返事がきました。
私(私)もまだまだ頑張らないと!!
という気持ちになりました。
引き続き全力で頑張っていこうと思います。
さて、昨日のブログ、
「わかったつもり」の問題点の続きです。
ご紹介した書籍の中には、
わかったつもり、という状態に陥るパターンがいくつかある、とあります。
細かくは本を読んでいただきたいと思いますが、
一般的な例をあげると、生徒たちにも多いのが、
文脈(文と文、段落と段落のつながり)がわかっていない。
それなのに読めた気になってしまっている、
これすなわち、わかったつもりである
このパターンが一番多いと思います。
蛯原先生流の例で説明すると、恋愛でしょうか。笑
相手のことを思って色々考えたり、準備をしていたけれど、
相手が思った通りのリアクションをしてくれずがっかりした。
よく聞く話ですが、
これは、相手のことについて「わかったつもり」になっていたということです。
わかったつもりとはすなわち、
整合性が合っていないことだと著者は言います。
文章においては、文と文に対する解釈の整合性、
恋愛においては、相手のことに関する自分(と相手)の解釈の整合性、
そこにズレがあって、かみ合っていない状態。
欲しいと思っていたプレゼントが全然喜んでくれなかった、
相手のためにしたことで逆に引かれたり嫌われたりしてしまった、
そこまでなくともとんちんかんな思い込みをしてしまい、
結果として悲惨なことになったりした。
また、ときに自分の理解力のなさ、「わかったつもり」から、
逆上したり、ストーカーになってしまったりすることも…
そんな話は今はおいておきましょう。
これはなぜ起こるのでしょうか。
考える際に、大前提として押さえてほしいことがあります。
それは、
整合性のある解釈であれば、
答えは一つだけとは限らない、
ということです。
私が教育実習をしたときの話を例にあげましょう。
道徳の授業をした際に、ドラえもんの最終回を題材にしました。
ある日、のび太が家に帰ると、ドラえもんが動かなくなっていて、
原因は電池が切れてしまっているということ、
再び動かすためには、電池を交換しなければならないが、
交換すると今までの記憶がなくなってしまうということ。
さて、のび太はどうするでしょうか。
君たち(生徒たち)ならどうしますか。
このような授業内容でした。
この授業は非常に面白く、生徒たちから様々な意見が飛び出しました。
「交換しない。いつか自分が科学者になってドラえもんを修理する」
「交換する。思い出はこれからまた作っていけばいい。」
「未来に行って他の手段を探して動くようにする。」
などなど。
その後の意見交換や生徒たちの発言もとても興味深かったことを覚えています。
このように色々な意見が出て、
それについては、
場面の状況と自分の意見の整合性がかみ合っている場合、
どの意見も成立することがあります。
このように答えが一つではない、
ということを考えると、
文章を読む場合も、恋愛においても、もっと柔軟に考えることができると思いませんか。
数学のように、答えは一つしかない、