今日も元気イッパイ☆
気仙沼へボランティアへ行った中学校もあったようです。
貴重な経験だと思います。
さて今日は語彙レベルのお話。
大学受験生、すなわち高校3年生と話をしていると、この子はよく言葉を知ってるなあとか、この子の表現方法って面白いなあと思える生徒に出会うことがあります。
もちろん1年生や2年生にもいますし、そういった子たちというのは往々にして、
小さいころからの読書量が多い、か
周りに年配の(高学歴または物知りの)人がいる、か
どちらかであることが多いと思います。
つまりはいろんな言葉を取り入れる機会に恵まれている、ということなのですが、
難関と呼ばれる大学を受験するにあたってはこの点が非常に成績向上のカギになっていることが多いです。
すべての科目の基本は国語である、というように、まずは自分のベースとなっている日本語を知らなければ、何かを考える際何も始まりません。
人にモノを教える立場としては「生徒たちがわかりやすく」伝えるということは非常に大切なのですが、そればかりに固執し、ただわかりやすいだけの授業を永遠にやっているのではあるレベルまで到達してからの伸びが見えにくいと思います。
例えるならば、キャッチボールをしたことない子どもにたいして、はじめは下投げでゆっくりした優しいボールを投げてあげる必要がありますが、ずっとそればかりやっていてもうまくはならないのと同じです。
あるレベルというのは大体ですが、偏差値でいうところの58~60のラインでしょうか。
野球で言えば軟式から硬式に変わった高校野球以上、というところでしょう。
それ以上に上げていくのであれば、自ら率先して言葉の泉へ飛びこみ、難しい語彙などもひっくるめていろんな言葉のシャワーを浴びるべきだと思います。
講師側もどんどん難しい言葉を適格に使っていくべきだとも思います。
テレビほとんど観ませんが、クイズ番組でいかに面白くてアホな(失礼)回答をするかどうかが視聴率になっている番組がここ最近人気を博しているように思いますが、
正直、台本であってほしいと心から思います。
知らないことが恥ずかしい、もっと知らなければならない、というのが今まで当たり前にあったのに、それが覆されつつあるのではないかと不安になります。
もちろんテレビ的にはそれは「オイシイ」のもわかりますけどね。
知ることに対してもっと貪欲になれるように、周りの大人がそんな環境を作ってあげることでしょうか。
小さいころから子どもたちにはたくさん言葉のシャワーを浴びせてあげましょう。
それがいつかつたない言葉のキャッチボールだった相手と、すごくレベルの高い会話をできるようになることにつながっていくと思います。
私自身も、成長した生徒たちとそんな会話ができることをそれほど遠くないものとして夢見ています。
さあ今日もカッコいい自分、『理想の自分』目指して、寝る前には自分をほめられるようなNEVER BETTERな1日を過ごすこと。