今日も元気イッパイ!!
今月の目標
「今年1年の流れ、そして今何をすべきかを明確にする。」

桜塾で言ってはいけない言葉がある。
その中の1つが今日聞こえたので、久々に雷を落としてみた。
「時間がなくてできませんでした。」

ドドドーーーーーン!!
一番言ってはいけない言葉ですね。
友人や後輩であっても、この言葉を吐いた者には落とします、雷。
時間がない??
あるやん、1日24時間。1年8760時間。みな平等やろ。
ちょっと長くなるが、免罪符というものをご存じでしょうか。
キリスト教のカトリックの教えでは、神を信じて洗礼を受ければ
「それまでの罪はゆるされた」となり、キリスト教の信者となりますが
人間不完全な生き物なので、その後も罪を犯してしまいます。
そんなとき、信者たちはその罪を神の前で告白し、
それを神の代理人である教父が「ゆるす」ことによって
信者たちは罪を許されるわけです。
ただ、古い時代においては「ゆるされる」ためには
非常に過酷な「つぐない」を課されることがありました。
問題となったのは、この「つぐない」の1つとして教会側が
サン・ピエトロ大聖堂の建築と銘打って資金集めを課したことです。
わかりやすく言うと
「君らなー決められている教会の教えに背いて罪を犯したんなら、
 その「つぐない」として寄付をしなあかんねん。
 寄付をしないものは罪を「ゆるされる」ことはないねんな~。
 ほんで寄付をしたものにはこの免罪符をあげるさかいな。
 懺悔をする必要のあるものはとっとと免罪符を買わんかい!」

てな具合に。
人間誰しも小さくても罪を犯してしまうことはありますね。
それが宗教上の細かいことならなおさらです。
しかし本来は、罪を「ゆるす」のは教父であり、
寄付をし、免罪符をもらうことで「ゆるされる」ものではありません。
これにいち早く気づき、
教会の堕落さを大衆に説いたのが中学の教科書にもある
マルティン・ルターであり、
彼はその後のキリスト教の根本を変える宗教改革の
発端となる人物なのでした。
このルターと宗教改革ってのはテストに出るから要注意な!!
ってそんな話ではなくて、
免罪符(今では贖宥状(しょくゆうじょう)といいますが。)を
持っていさえすれば、自分の罪が「ゆるされる」と思っていること、
それ自体がおかしいやろとルターは言ったわけです。
まさにその通り!!
「忙しい」とか「時間がなくて」という免罪符は
桜塾では通用せえへん!!
時間はあるんや。
1日24時間、1年8760時間。しつこいけども。
できなかったんはおまえの都合。
おまえの優先順位でおまえが勝手にやらんかっただけ。
他にあるか?
あるなら言うてみい!!!! もう一発や!!

長々と書いてすみません。
まぁ、要は、
「忙しい」「時間がない」ということを
「できなかった」ことの免罪符にするのは止めようや、ということ。

「できなかった」ことはほとんど「しなかった」わけだから。
他に理由があったとしても、それは単に
「そっちのほうが大事やったから」だけやんか。
ごめんやけど、
私に向かってその言葉を吐くということは、
「ごめんな、おたくより大事なことがあったからやらんかってん。」
と言っているのと同じことや。許すわけにはいかん。
その点しっかりわかった上でモノ言うて来いってんだ。

ちなみにこれが、中世の免罪符です。なんやおかしなチケットみたいやな。
よっしゃ。言いたいこと言うたし今日もあと少しがんばろか。
さぁ今日もカッコいい自分、『理想の自分』目指して、寝る前には自分を褒められるようなNEVER BETTERな1日を過ごしていこうか!!