HAPPY FRIDAY!
今日も元気イッパイだぜー!!

今月の目標
「当たり前のレベルを上げること」
口癖は「大丈夫です」「余裕です」「頑張ります」

あっという間にまた1週間が過ぎようとしています。
そんな金曜日です。
さて、中3以上に義務化をはかっている桜手帳、
これからの効果が非常に楽しみであります。
先日、大学時代に交通事故にあって腕に障害が残ってしまった友人と会う機会がありました。
あまりその事故のことには触れないようにと思っていましたが(何といっても障害者認定なので)、酒が入るとついネタのように
「やっぱり片方使えないとしんどいもんなん?」
なんて軽いノリで聞いてしまったのですが、その友人は
「めちゃめちゃしんどいよー。けど、今となっては腕一本ですんでよかったなぁと思うよ。」
「え!腕一本て結構な代償じゃない??」
「いや、まぁそりゃ以前に比べたら不便だけど、これが両手やったり両足もやったり、あるいは半身不随やったかと思うと全然平気だね。」
「ま、前向きやな~(笑)」
こんな会話がありました。実際みなさんだったらどうでしょう。
事故にあっても腕一本ですんでよしとするか、そのことを悔やみ続けるのか。
まぁ私が今日話したいのは視点はそこにはないんですけどね。
ブログでは過去何度か話した内容ですが、「欠乏動機」の話です。
欠乏動機ってのは、ないから欲しい、っていう気持ちですね。
簡単に言えば物欲、とも言い換えられるでしょうが。
人間の欲は限りがありません。
欲しいものを手に入れれば、しばらくするとすぐ次のものに目がいくようになります。
そこにないものをほしがる習性、といえます。
じゃあそこにあるものに対してはどうかというと、何も感じなくなっていくんですね。
そこにあることが当たり前だから。
両腕があって、携帯をいじったり、ペンを持ったり、ボールを取ったりできるのは当たり前。
両足があって、自転車に乗ったり、歩いたり、かけっこができるのは当たり前。
家に帰ればご飯があって、お風呂が沸いていて、干されていた布団で眠れるのは当たり前。
学校に行けて、塾にも行けて、毎日不自由なく暮らせているのが当たり前。
それが当たり前にあるから、何も疑問を抱くことなく過ごしています。
もちろん自分の体の一部がなくなるイメージを持つことは難しいかもしれませんが、
例えばお父さんがいて、お母さんがいて、友達みんながいるこの現状はいつか終わりがやってきます。絶対に。
よくテレビの感動ストーリーなんかで、昔ヤンチャしてた子が更生して、やっと頑張ろうというときに親が死んで、なんていう話ありますよね。
ただその話が事実かどうかはどうでもいいんです。
その話を見て、もし少しでも共感するところがあって、自分も親が死ぬ前には何かしてあげないといけないな、とか頑張らないといけないな、と思うのなら、
今あるその当たり前の日常を当たり前と思うな。
少しでもいいから、今自分がここにいられること、この家族であること、そしてこの自分であることに感謝できる人間になっていこう。
それが大人になるということです。

今日はオカンの誕生日。
塾長ブログの読者の1人です。笑
感動ムービーではないですが、健全なうちに何かしてあげたいなと切に思っているこのごろです。また連絡するわ!

さぁ今日もカッコいい自分、『理想の自分』目指して、寝る前には自分を褒められるようなNEVER BETTERな1日を過ごすこと!!