今日も元気ダゼ!!

一つ、目標を持ち、全力で実現すること。
一つ、常に成功を意識し、そのイメージを持つこと。
一つ、障害は自分を成長させるチャンスだと思うこと。
一つ、言い訳せず結果で示すこと。
一つ、反省はしても後悔はしない毎日を送ること。
一つ、自分に嘘をつかないこと。
一つ、良き仲間を持ち、共に向上すること。
一つ、今ここにいる感謝の気持ちを忘れないこと。
一つ、自分の周りにもたくさんの笑顔が溢れる人になること。
一つ、自分の桜を咲かすため、日々を謳歌すること。

知っている人もいますが、私、学校の教員免許持ってます。

中学と高校の英語教師。

生徒たちにはよく、「君らの学校でも教えられんねんでー」なんてことも話しますが、実は過去にやった経験もあります。経験のためと学校現場の現状を見るために。

時期や場所の詳細はここでは言えませんが。

そこで感じたことなどを今日は書き連ねようかと思います。

あくまで私が思った主観なので、軽く聞き流す程度にいていただければ。

まず第一には、どちらも生徒に勉強を教える点では同じかもしれないが、その本質は全く異なっているということです。

一昔前までは、学校の先生は塾などいらないとのたまい、塾の先生は学校の先生の授業はダメだと揶揄するような構図がありました。

しかし最近では(私の意見ですが)、お互いがお互いのプロフェッショナル、すなわち専門性を認め合い、お互いができることを子どもたちに提供してあげればいいというように両者の壁がなくなってきているように思います。

そもそも学校の先生=教師は、実力も理解度も異なる40人に一斉に授業をしなければいけない上に、生活指導や部活指導、様々な会議や行事の運営に至るまで、その仕事は多岐に渡り、教師によっては土日すら存在しないほど多忙を極めている人もいます。

実際私が行っていたときの同僚は、普段の仕事が忙しすぎて採用試験の勉強が追いつかず、あと何年で受かるように計画しよう、なんて話をしていました。

一方で塾の先生=講師は、決められた時間・内容の範囲の中で最短で生徒たちに理解を促すエキスパートでなければなりません。
授業がわかりにくいだとか、話が面白くない、と言われるようではその価値は下がっていきます。

常に最高の授業を全力で行う、というのは絶対に学校教師だけでなく、他の塾の講師にも負けてはいけない信念の部分であるし、ここが学校の教師をしているときと一番違うところかなと感じます。

学校教師は広域なジェネラリストで、塾講師は勉強+αの狭く深い部分を担うスペシャリストである位置づけでしょうか。

ただ経験した上で言うと、学校の教師も塾の講師もどちらも楽しいしやりがいを見出せます。

それでもやはり私がこっちの道を選ぶのは、一人でも多くの「変わりたい」生徒たちに影響を与えていってあげられるのではないかと思うからです。

一人の人間が出せるパワーというものには限界があります。無駄にパワーを出していても浪費するばかりのこともあるわけです。

私のパワーを最大限に誰かのために使うにはこの桜塾しかない。

そして集ってくれているほかの講師メンバーたち、彼らは全員私が直接ヘッドハントして一緒にここで頑張ろうと思ってくれている同志であり、いわば私の分身であり、かつそれぞれがそれぞれに個性を放つ最高のメンバーたちと、縁あってここで変わろうとしてくれている生徒たち。

これだけの条件が揃っていて、化学変化が起こらないわけがないと思っています。
奢りでもなんでもなく。

今年は今まで以上に楽しみな一年になる予感がします。

まずはこの春の講習を最高のものにしよう。

さあ今日もカッコいい自分、『理想の自分』目指して、寝る前には自分を褒められるようなNEVER BETTERな1日を過ごそうか!