どーも!!

 

 

松村です!!

 

 

分かる、理解するとはどういうことでしょう。

 

ふくしま式という勉強法で国語を教えてらっしゃる福嶋隆史氏いわく、

 

「分かるとは分けること」

 

だそうです。

 

 

これについては、私も同感で、

分けることができる=理解している

といっても過言ではないと思います。

 

絶対と相対という言葉があります。

 

絶対とは、唯一無二のこと。比べるものがないこと。

相対とは、比較して存在すること。比べること。

 

です。

 

絶対とは、比べるものがない。つまり圧倒的とか、唯一という意味。

絶対王者と言えば、その人だけ。

 

相対とは、比べること。何か別のものと比べて、どうであるか。

 

中学生で身近なのは、

絶対評価と相対評価。

 

絶対評価は、その生徒個人を見て、その子の成績だけで判断して、評価をすること。

だから、全員5とかもありえるわけですね。

 

対して、相対評価は、他の生徒と比べなければなりません。

5は何人、4は何人と決まっている。だから、全員100点だとしても、どこかで比較して、それぞれに1~5をつけなければなりません。

 

この絶対と相対を深く考えていくと、

絶対は絶対存在しないという、ある種の矛盾にたどり着きます。

 

この世の物事は、何かと比べずに存在することは不可能だからです。

 

男と女、大人と子ども、良いと悪いなど。

 

比べる対象が存在するから、またその物自体も存在するわけです。

 

 

つまり、比べることができるということですから、分けることもできるわけです。

 

そうすると、分けることができるわけですから、分かることもできるわけです。

 

この世に分からないことなど存在しない。

こういうことですね。

 

とはいえ、実際に分からないことが現実問題としてあるわけですが、

それは違いを知らないから、分からないだけです。

 

違いを知れば、分けることができます。

そうすれば、分かることができる。

 

ということは、勉強とは違いを知ることになるわけですね。

 

自分が分かっているのか、分かっていないのか。

それが判断できない。

 

そういったことで悩んでいる子は、違いを説明できるかどうかで判断しましょう。

 

 

違いが分かる。

 

かっこつけているようですが、それが=勉強です!!

 

 

松村でした!!