新しい1週間の幕開け!!

今週も今までの人生で最高だったという週にしよう。

最近、人から紹介を受けるときによく、

「常識はずれ」「型破り」というようなことを言われます。

自覚は一切ないのですが、

(本人は至って然るべきことをやっているだけ)

こういった「普通と違う」感覚というものがどういうときに生まれるのか

考えてみました。

私はいつも、何かをする際、

たとえば、生徒に指導をするとき、

生徒たちを励ます、または叱るとき、

講師メンバーに何かを伝えたいとき、

桜塾を誰かに伝えるとき、

きちんとした型(話すやり方、プレゼンの仕方)に基づいて、

基本のストーリーを組み立てます。

生徒への指導などは特にわかりやすいかと思いますが、

普通、どのような順番で教えるのか、

普通、子どもたちはどう話せばこちらの意図がわかるのか、

普通、子どもたちはどこでつまづくのか、

今までの経験と得てきた知識で理解しています。

その上で、

普通にやるよりもこちらのほうが効果が出やすい、

みんなはこうするけれど実はこっちのほうがわかりやすい、


今までの経験とその相手によって道を選択しています。

おそらく、このやり方の要所要所で、

普通ではないと思われるところがあるのではないかと考えました。

まあ、結果になったところも要因かもしれませんが。

ということは、

最初から無計画、考えなしにやっているのではなく、

まずは型があり、その基本の型をしっかりと身につけ、

その上でもっと効率的な方法を使っているだけ、と言えます。

型なくして型やぶりは存在しない。

これが私が思う、「型破り」というものの正体です。

こんなことを思いながらふと、

歌舞伎役者の中村勘九郎さんのエピソードを昔聞いたのを思い出しました。

現、勘九郎さんのお父さんにあたる名歌舞伎役者です。

歌舞伎、というものをもっと多くの人に知ってもらうために、

それまでの公演以外にも、アメリカNYなどで歌舞伎を上演したり、

新たな手法を取り入れて海外にまでKABUKIを広めた第一人者です。

その勘九郎さんが、「型破り」だと自身を評価された際に言った言葉、

「なに言ってやんでい!型破りって言うのはなあ、

 型があるから型破り。

 型が無ければそいつは単なる形無しなんだよ!」

うまいですよね。

でも、やはりそういうことなのです。

勉強のやり方も、仕事の進め方も、何にしても、

先例があり、見本がある。

そこに忠実に従い、その道を極めていくことで、

そこから先に自身のオリジナリティが加わって、

それが評価されればいわゆる「型破り」ということにもなってきます。

そういう意味では私なんか、まだまだ型にはまらないといけないし、

行ってきた活動が少しずつ形になってきているのかなと、

兜の緒を締め、さらに精進しないといけない、

そう思いますね。

中高生、生徒諸君、

まだ勉強のやり方が今一つわかっていない、

そう思うならまずはそこです。

必ず君たち自身の色が出てくるときが来ます。

そのために、今を頑張ろう。

われわれもさらに頑張りますので。

さあ今週もカッコいい自分、『理想の自分』目指して、寝る前には自分を褒められるような毎日を送ろう!