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哲学的文章の難しさ

どーも!!

 

 

松村です!!

 

 

今日は哲学のお話。

 

高校入試では珍しいですが、大学入試では哲学をテーマにした現代文の問題が出題されることがあります。

 

そういった問題の特徴としては、とにかく文章が難しい!!

 

 

何を言っているのだろうと混乱するばかりです(^^;

 

 

哲学的文章が出ても動じないためには、哲学的知識を増やすことと、

哲学的な考え方を日常から取り入れていくことです。

 

 

例えば、有名なデカルトという哲学者がいます。

 

この人の、「コギト・エルゴ・スム」という言葉。

日本語だと、「我思う、故に我在り」と訳されます。

 

私は、この世の色々なものの存在を疑うことができる。

つまり、このように疑うことのできる存在である自分を疑うことはできない。

 

一般的な解釈はこんな感じです。

自分は本当に今存在しているのだろうか、

これは現実だろうか、

などと疑うことができるということは、自分自身の存在は疑う余地がない。

というわけです。

 

とはいえ、こんなこと日頃から考えていて、もし言葉にしようものなら、

中2病だなんだと言われかねません(^^;

しかし、言葉にしなくとも考えておくこと、調べておくこと、知っておくことは、

無駄ではありません。

 

多かれ少なかれ、意識無意識であれ、誰しも考えている、考えたことがあることだと思います。

 

哲学的文章は、文章自体が非常に難しく、その分設問が易しかったりします。

しかし、人間誰しも、ましてや高校生では難しい文章、理解できないというだけで、

もういつもの力が発揮できません…

 

昨日の塾長のルーティンの話に近いと思いますが、

国語において、

いつも通りの力を出すためには、

「知っていること」

これが有効な武器となります。

 

日頃から哲学に意識を向けてほしいと思う松村でした!

 

 

 

 

おまけ

 

これは果たして自分だろうか…そう思う時点で自分の存在は疑う余地がない…

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