今日は8月6日。
忘れてはいけませんよね。「広島原爆投下から63年」
もう63年がたちました。
だけど、現代のわれわれの多くは、朝のテレビや新聞でその記事を見て、普段見るニュースと同じように、「あぁそうか」といって過ぎ去ることが増えてきているのではないでしょうか。
原爆が落とされた広島県や長崎県では、毎年「平和学習」を行い、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さなどを、小学校から学びます。
広島に原爆が落ちた8月6日の午前8時15分と、
長崎に原爆が落とされた8月9日の午前11時2分には、
県下で一斉にサイレンがなり、みなが黙とうをささげます。
たとえ部活の試合中であっても、この時間のサイレンではいったんプレーをやめ、目をとじ、目に見えない戦下の町や、亡くなられた方々のご冥福を祈ることが当然の儀礼でした。
しかし、現代の日本の多くの町では、そういったサイレンはおろか、「平和学習」も行われなくなりつつあるのが現状ではないでしょうか。
人は忘れる生き物です。
ですが、忘れてしまってはいけないこともあります。
大人が、自分が子どもだったころに大人たちに聞いたことを子どもたちに伝えなければ、子どもたちはそれを知ることもありません。
大人が忘れてしまったら、大切な歴史の「伝言ゲーム」は、どんどん忘れ去られていきます。

「最近の子どもは変わったわ・・・」なんてセリフを吐く前に、大人たちが子どもたちに対して、やるべきこと言うべきことを果たすべきではないでしょうか。
われわれ大人がやるべきこと。
1つは、今ここに存在できることの土台には、どんな出来事があって、それを自分がどのように大人たちから伝え聞いたのか、それをちゃんと次の世代に伝えていくこと。
もう1つは、そういったことを話すことが、今自分がここに存在できていることを確認できることだと気づくこと。
最近起きている連続通り魔事件も、被害者の方には何の罪もありません。ただ、本当に運悪くそこに居合わせたために自分が被害に遭ってしまった。
誰も自分がいつ死ぬかなんてわかりません。
原爆でなくなった方たちも同じ気持ちだったでしょう。
今を生きるわれわれは、その意味をもっと知るべきです。
原爆でなくなった方も、不幸な事故に遭われた方も、そして今ここにいるわれわれも、明日の自分がどうなっているかはわからない。
明日はきっとある、だけど絶対ではない。
じゃあ、あるかもしれない明日のために、今日を精いっぱい生きること。
それが、今の私たちにできること。
それが、歴史を抱えて生きていくことの1つになるのではないでしょうか。
子どもに話すどころか、自分自身があまり考えてなかった方も少なからずおられると思います。
まずは自分が気づくこと。
そして自分から、さらには近くにいる誰かに伝えてあげること。
そうやって、少しずつ意識を変えていきましょう。
少しずつ、やがては日本を変えていけるような力になることを意識して。
少しずつ。
さぁ、今日もカッコいい自分、『理想の自分』を目指して、寝る前には自分を褒められるようなNEVER BETTER(これ以上ない)1日を送ろうか!!