メラメラ火曜日!!
今日も元気イッパイ☆
5月目標
Do! Or do not! There is no try.
やるか、やらないか。それだけや!
昨日こんなニュースを見ました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130520-00000013-rbb-ent
「五体不満足」で有名な乙武洋匡さんが、あるレストランに食事に行った際、車いすで入っていけないし忙しくて今補助も手伝えないという理由で入店を断られたという内容です。
このことをツイッターでつぶやいたことが今回の騒動になってしまっているようですが、実際のところどちらに偏って非があるとも言い難いな、というのが私の感想です。
同じ内容のニュース記事を読むだけでも、そこから伝わってくる情報はその書き手の目線でしかありません。
「店が悪い。車いすで入れないならその説明やお客さんへのきちんとした対応をすべきだ。」
と書けばそれを読んだ人たちはそれに賛同するだろうし、
「乙武さんが悪い。事前に予約をすべきだし、補助できるかは店の忙しさなど状況にもよるはずだ。」
と書けばそれに賛同し、結果今回のように両方へのクレームとなり店側はツイッターで謝罪をし、乙武さん本人も事後説明などをする結果になってしまっていました。
私が言いたいのはとどのつまり、マスコミが言っているうわべの言葉を信じるのではなく、自分がそこの当事者だったらどうだろうか、また当事者たちはどういう考えでその言動に至ったのだろうかということを考えるべきだということ。
まあ乙武さんも事前確認をすればよかったし、店側も無理なら無理で誠意ある対応をすればよかったよね、別に障害者の方に限らずたまにそういうことってあるよね。
というのが私の感じたところです。
もう一つは障害者と呼ばれる人たちへの意見。
私の恩師で元新聞記者だった方が昔、こんなことを言っておられました。
「 障害者を差別しないのは良いことだ。しかし、それと彼らを甘やかすこととは別問題だ。差別しないということは、対等な他者として認めるということであり、そうである以上、応分の義務や責任は負うべきだ。
しかし、何かあると、「差別だ」と居直られる現状では、触らぬ神にたたりなしってことで彼らのわがままを許しがちだ。結果「障害者だから何をしても良い」みたいな勘違いをうむ。
障害者にも心のキレいな人はたくさんいる。が、障害者だから心がキレいとか、障害者はみんな心がキレいってのは絶対ありえない。
むかし、民間の社会福祉の最前線を取材したことがあるが、一生をかけてボランティアをやってきた人達ほど「あいつらは」みたいな口調で、障害者を語ることが多い。最も身近で見ているからこそ、その醜さも熟知しているのだろう。
障害者に「甘えるな」というのは酷だ。周囲の人間が全て「甘やかさない」という自覚を持つべきだ。」
車いすの人を見たりしたときに反射的に「かわいそう」というような意識を持っていませんか?
ひょっとしたらこのことがすでに「差別」の芽だということ。
差別をしないということはすなわち、相手のことを「対等」に見ること、「対等」に扱うこと。
私はそう思っています。
今日のブログで感じてもらえたらと思うのは、
1、テレビやインターネット上の情報を全て鵜呑みにするのではなく、自分で判断する意識を持とうということ。いつも話していることですね。
2、障害者の人に対する意識。「差別」しないということはどういうことなのか。
ブログを読んでいる人が少しでも何か感じてもらえたらうれしいです。
さあ今日もカッコいい自分、『理想の自分』目指して、寝る前には自分を褒められるようなNEVER BETTERな1日を過ごすこと!