どーも!!
松村です!!
今日は現代文にてよく取り上げられるテーマについて書きたいと思います。
現代文の文章によく出題される文化論。
その多くは、西洋と東洋(日本)の対比。
さらに、その多くは日本人の自然観などをテーマにしている。
その中でも、よく取り上げられるのが、
「日本人は無神論者なのか。」
というテーマ。
結論から言うと、違います。
日本人の宗教観、自然観というのは、
神道に代表される八百万の神という考え方。
全てのものに神様が宿ると考えられてきました。
無意識的に日本人にはそういった考えが根付いています。
よく「バチが当たる。」といいます。
これは超常的なもの、非科学的なものを信じているから出てくる言葉です。
外国の方に、「私は無神論者です。」というと、あまり良い印象を与えないといいます。
それは、信じるものがないから、「極論」簡単に人でも殺すと捉えられるからです。
しかし、事実は違います。
日本人は境目が曖昧であるだけなのです。
これといった一つのものを信じているわけではなく、悪く言えば節操がないだけ。
だから、無神論だと思われてしまうわけです。
よくここから派生して書かれるのが、住居の話。
襖や障子は境目として非常に曖昧です。
部屋の区切りが明確ではありません。
つまり日本人の感覚は本質的に曖昧だと言えるのかもしれません。
「間」や「奥」といった言葉も不明瞭なものです。
「奥」へどうぞ。
「奥」とは具体的にどこを指すのか。
ものすごく曖昧です。
でもなんとなく分かる。
趣があるだとか、風情がある、侘び寂びなども同様です。
そんな日本でも、歴史的には鎖国をしたり、禁教令を出したりと、拒絶し境目をはっきりとしたことがありました。
そこは譲れなかったんでしょう。国家規模だったり、海の外に対しては。
これらが現代文を読む上で、参考になればと思います。
また色々なテーマを取り上げたいと思います。
松村でした!