こんにちは!桜塾のまえだです。

私が20代の頃、自分を含め多くの友人達の車には、マップルというドライブ用の地図が常備してありました。
たまに持っていない場合は、コンビニに行くと必ず置いてありましたね。

ここで「あー、あったあった!懐かしぃ~」と思った人はおそらく40代以上の人ではないでしょうか?笑
旅行の前に地図を見るのも楽しかったですよね~!

カーナビがなかった頃(いつの時代やねん)はマップルを使って目的地までのルートを自分で見つけ出し、だいたいの位置関係を覚え、国道○号線とか県道○号線とかを覚えなければなりませんでした。そしてドライブ中は案内標識や信号に書いてある地名、あとは町並みもしっかり見ていました。だから一度通った道は大体覚えていたし、2度目は地図がなくても目的地に向かうことができていました。

ところが今ではカーナビに目的地の電話番号を入力して音声案内を受ければ到着するので、信号の地名や道が何号線かなどはあまり覚えておらず、しかも一度は通った道なのに新鮮な気持ちでドライブすることがあります。カーナビのおかげで楽ちんなドライブができるようになった反面、目的地に向かう能力は確実に下がってしまいました。

ここで何が言いたいかというと、「時代が便利になるにつれ」、それと引き換えに「失っていくものが確実に生まれている」ということです。

まあ道なんて覚えなくてもいいよ、という意見もあるかもしれません。

では文字の認識にについてはどうでしょうか。
スマホやPCでの入力が当たり前になってから、まず文字を書くことが圧倒的に減りましたよね。
それに伴って、書けそうで書けない漢字が増えたり、予測変換で勝手に文字が出てくるためにさほど考えずに文字を発信したりすることが増えたと思います。

私もこの前、久々に電子黒板に板書をしていたとき、「あれ、この漢字のこの部分ってこれで合ってたっけ・・・」なんて迷ったり、そもそもの書くスピードが非常に遅くなっていたりしたことに気づき愕然としたことがありました。苦笑

同じように、便利さと引き換えに失っていっているものが確実にあるはずなので、単に便利さを享受するだけでなく、失ってしまってよいものなのか、立ち止まって考えたいものです。同時に、失うべきではないと思うことであれば、そのための努力や行動をしないとな、とも思うのでした。