こんにちは。
成人の日が正確には明日となり、今日は全国各地で成人の日を祝うセレモニーが行われているようです。
桜塾の卒業生や非常勤スタッフたちの中にも、新成人のメンバーがいて、そうそう、ゆきな先生はこの前、着物の前撮りの格好で塾に遊びに来てくれましたね。
ちょうど会議中で、画面越しでしたが「おおー!( ゚Д゚)♪」ってなったのを覚えています。笑
めでたい席ですが、毎年お騒がせな新成人たちも全国各地に現れるニュースもあるので、今年は何もなく終えてほしいと思います。
さて今日のブログは、成人の日にちなんだお話を。
成人、すなわち一人前の大人として扱われる、ということは、この日をもっていきなりそうなるわけではなく、それは単に社会的な見方によるものです。
成人式や、二十歳の誕生日を迎えたからいきなり大人になる、ということではありません。
昔は15歳で元服、という儀式があったように、年齢というものは単なる区切りに過ぎないのであり、若かろうが年をとっていようが、じりつ(自律・自立)する気持ちがなければ、それは本当の意味での成人とは言えないと思います。
権利と義務、という言葉を考えてみましょう。
自分にとってプラスになる権利を得たいのならば、そのための義務を果たさなければならない、というように使われます。
子どものうちは権利ばかり主張して、義務や責任を果たさなくてもよかったのが、大きくなるにつれそれが通用しなくなりますね。
大人になるということは、「権利と義務」のバランスが上手く取れている状態である、と私は思っています。
実際、年齢に関係なく、小さいころからこの考え方を当たり前に持ち、自分がやりたいことをしたいのなら、そのためにやりたくないことであってもきちんと責任もって最後までやる、という練習ができます。
桜塾で普段からスタッフが意識し、また生徒たちに伝えているのは、この「権利と義務」についてのことであり、つまりそれは大人になるための階段を上ることです。
成人の日を迎えて大人、ではなく、考え方として一人前の大人の思考ができるよう、子どものうちからその訓練をしていきましょう。
新成人メンバー、おめでとう。
形式上は君らも大人の仲間入りです。
ここから、真の意味で大人になるよう、大人でいられるよう、さらなるじりつ(自律・自立)をしていきましょう。