こんにちは!
桜塾の前田です。
今日も朝から塾にいて、どうしても質問に来たいと言う大学受験メンバーの対応から、秋の運営体制、さらには来年度の計画など、色々やることてんこ盛りな日曜日を過ごしております。
午後からはこれまでブログにもちょくちょく登場していただいた、西宮にある高校中退者の専門塾を運営している山口くん(といっても年上ですが。笑)のところへお邪魔しに行く予定。
彼についてはホームページの中のこちらの自己紹介が、人となりを見るにはわかりやすいのではないでしょうか。
http://tob.new-look.jp/about-tobjyuku/greeting/
同世代、かつ学校の教員を経験したり、色々な世界を見ながら現在は『教育』という現場に関わっているという意味では、非常に興味深い活動を続けている男であり、同志だと思っております。
そんな彼のプロフィールを見ながら、私もふと自分の高校時代のことを振り返っておりました。
今日は珍しく、当時の思い出話を振り返ってみましょう。
私は高校時代、だいたい学校で100番前後の成績(中の上くらい?)をウロウロしている高校生でした。
また、部活もサッカー部に所属し、副キャプテンで頑張り、彼女もいて、いわゆる「リア充」と呼ばれる部類に入っていたようにも感じます。笑
当時の悩みと言えば、特にありませんが、しいて言えば進路のことでした。
長崎の田舎(今でも実家からは歩いてコンビニには行けません。笑)に育ち、「将来」って何?よくわからないけど「とりあえず大学に行け」ばいいのよね?なんて思いながら過ごす毎日。
当然、勉強にも一生懸命になる理由が見つかりません。
高3になると、みんな塾に通って一生懸命を勉強するので、それまで自分より下にいた友達の成績が上がっていきます。
決まらない進路
はかどらない勉強
エセ「リア充」
笑
そういうわけで、毎日始発の電車に乗り、朝7時半から行われる強制補習に始まる毎日に嫌気がさし「何のためにこんなやりたくもない勉強をやらされるんだろう」「こんなことやってても成績が伸びている気がしないのに」と感じる日々でした。
今思い返しても、友人たちが「高校時代に戻りたい(・∀・)♪」なんて言うセリフを言っているのを聞くと驚きしかありません。
私は「人生の中で今が一番最高」と思っていますが、同様に「高校時代には戻りたくないな」という思いもあります。
そんなこんなで冬が訪れ、年も明け、センター試験が終わり、二次試験で受ける大学を決めなければいけない時期となりました。
今言うと驚かれますが、当時得意と呼べる科目もなく、特に英語があまり得意でなく(笑)、何よりも勉強したくなかった私は、二次試験を学科で受けなくて済む大学を選ぼうと考えました。
どこの大学って別に行きたいところもないけれど、できれば国公立大学で、かつ面接か小論文だけでどこか受からないだろうか・・・そう考えた私は、消去法で決めた教育学部のある、大阪教育大学を受験することにしました。
思えばこのとき、神様は見ていたのかもしれません。
目的も何もなく、消去法で決めた大学、親が教員ということもあってなんとなく学校の先生にでもなればいいやと考えていた当時の自分の甘ちゃんな心構えは、センターB判定という有利な条件とともに打ち砕かれることになります。
「大学入ったらバイトでもしながら遊びまくってやるぜ」
柏原市にあるとうことで、大学入学後に住むアパートまで決めてきた自分でしたが、当然そこもキャンセルすることになります。苦笑
高校の卒業式では、友達がそれぞれに「大学での自分」をイメージして楽しい話をしている中、自分はまた一年受験生をしなければならないという憂鬱さ、親にも迷惑をかけるという情けなさ、一体高校生活で自分は何を得たのだろうという虚無感をひたすらに感じていたように思います。
当時からポジティブではありましたが、今のように「何かを成し遂げた自信」「継続して努力した根拠のある言動」といったものはなく、薄っぺらい自分に嫌気がさしていた暗黒時代でもありました。
この続きはまた来週日曜のブログででもお話しましょう。
それでは希望にあふれた未来の話をしに、西宮へ凱旋してきます。
ステキな日曜日をお過ごしください^^