今日も元気イッパイ★

本日も生徒たちの成長が見れています。

よく頑張っている、と思います。

指導の仕方も学習の進め方も、

年々しっかり体系化され、

いかに効率よく無駄なく進めるか、

子ども達自身が変わってきていることを実感します。

今日お電話で久しぶりにお話したある生徒のお母様も仰っていました、

「子どもたちのためになる環境、指導であれば、親はお金の面で頑張るだけですから。」

ありがたいお言葉です。

今このときだけ、でなく、

生徒たちの今後につながる指導、

今後につながる時間をここで過ごしてほしいですね。

今日はちょっと、

コレ読んでもらっていいですか

(・∀・)↓

大阪の公立高入試一本化・・・「自己申告書」導入
(2014年7月17日読売新聞)


大阪府教委は、2003年から前期(2月)と後期(3月)の2回に分けて行っている府内の公立高校入試を、原則として3月に一本化する方針を固めた。


受験生が自分の長所などをPRする「自己申告書」を提出させ、合否判定に用いることも検討。現在の中学2年生が挑む16年春入試での実施を目指す。


府教委の改革方針では、前期を「特別選抜」、後期を「一般選抜」と改称。実技試験のある音楽科や体育科など専門学科のごく一部以外は、3月の一般選抜で試験をすることにした。同一校に複数の学科がある場合は、第2志望を認めることも検討している。


府内の公立高入試は、03年春から前後期に分かれた。進学校10校に設置されている文理学科や、工業、体育などの専門学科は前期、普通科は後期としていたが、府が私立高校の授業料を無償化したため、私立高志望が高まり、11年春入試では公立高で定員割れが続出。2月に入試を行う私学に対抗し、13年春入試から、普通科の一部も前期に受験できるようにし、総定員に占める前後期の配分はほぼ同程度になっていた。


前後期制は、受験機会を2回得られ、合格すれば進路が早く決まる一方、倍率が高まるため「不合格」を経験する生徒が増える欠点もある。不合格でも、後期に同じ学校を受験できるが、前期の合格発表から後期出願までは数日しかなく、保護者や教師からは「子どもが気持ちを切り替えられない」「短期間の進路指導は難しい」といった声が上がっていた。


一方、自己申告書は、「学校以外での活動も評価するべきだ」との考えから検討。ボランティア活動や取得した資格のほか、志望動機や入学後の目標などを生徒自身に記載させ、合否判定の材料とする。ただ、「塾などに指導を受けて書いた生徒が有利になるのでは」といった懸念もあり、今後、具体的な内容や活用方法を詰める。

少しまえのニュースですが、

入試の仕組みも少しずつ変わっています。

上記、簡単にまとめると

2010年 私立高校の無償化スタート

翌年には所得限度が緩和し、私立高校への志望が増加

これに伴い、公立高校の人気が下がり定員割れ校が続出


2013年 前期入試でも公立高校が募集開始

私立高校への流出は下がったものの、

人気校への倍率増加と高校の負担増加(二回の採点)


そして

2016年 公立高校の前期後期の試験一本化

といったところでしょうか。

全ては、私立高校と公立高校のバランス、

生徒たちの受験による負担のバランス、

色々なことを踏まえての制度改革であると思いますが、

エネルギー保存の法則と同じで、

何かプラスの面があるところには必ずマイナスの面もあります。

一番考えてほしいことは、

生徒たちが受験前はもちろん、受験後も

「勉強はやって当たり前。必要なものだ。

それをすることで自分の人生が良いものになるんだ。」

と多少なりでも理解し生きていけるようにすることだと思います。

ここからは私個人の主観ですが、

そもそも短期間で一気に勉強し、付け焼き刃で受験をこなすことには反対です。

一年ならまだしも、数か月で詰め込んでその場しのぎの受験をする、

そしてあとは全て忘れておしまい。

そのときだけのために家庭も大金をつぎこむ、塾・予備校業界はそこに付け入り、

テクニックやこれだけをやれば合格するよという甘い蜜を売る。

自分で塾をやりながら言うのもなんですが、少し矛盾を感じます。

といいつつ、それぞれの受験のための指導をしているわけですが。

そして、試験を一本化するという理由の、

生徒が不合格通知を受けて気持ちの切り替えができないから、という部分、

そんなもの、大学受験では当たり前のことですよね。

社会に出てからはいわんや、です。

挫折、いつ味わうんですか?

大きな挫折でなくとも、自分が頑張ったことが報われない経験というのは、

頑張ったことが報われる経験と同じように大切なことです。

今の若い子にメンタルがよわっちいと言われる子が多いのは、

そういった経験や、気持ちを鍛えられる経験が少ないのかもしれないなと感じます。

イメージする機会すらないのかもしれないですね。

もう一つ、

これは塾の先生らしい発言かもしれません。

上記のニュースの最後のところ、

自己申告書(志望書)について言及されている部分に、

塾などで指導を受けた生徒が有利になることが懸念されているとありますが、

「そんなこと、当たり前やろ!失笑」

とも思います。

ほかの先生の悪口を言うつもりはないですが、

一体何人の先生が、AO入試、論文指導の専門指導ができますか。

私は今年、ブログでも何度も書いている福島の塾で、

論文とは何か、自分の意見をまとめるとは何か、ということを学び直しました。

毎年、AO入試の志望理由書で素晴らしい文章を書き上げる生徒たちが、

今年も慶応大学や立教大学などの名だたる難関校を突破しています。

技術のない医者はそれだけで罪である、

有名な言葉ですが、

指導力のない先生はそれだけで罪であり、絶え間ない努力をすべきだ、

と思っています。

きちんとした指導ができる先生のもと(それが学校にいないなら塾に行くべき)

文章の書き方、自分というものをアウトプットする手段を身につけるべきはないでしょうか。

子どもたちが勉強できないのは誰のせい?

子どもたちが勉強しないのは誰のせい?

社会のせいとか、学校のせいとか、

そんな言い訳はやめましょう。


全て大人のせいに決まっています。

大人たち、必死に考えましょう。

そして大人になりかけのメンバー、

君らも一緒に考えよう。

全ては、今まさに子どもであるメンバーたちが

ちゃんと考えられる力をつけるために、です。

今日は少し私的感情が満載のブログになりました。

ストレスがたまっているわけではありませんよ。笑

明日は雨のようですね!!

頑張っていきましょう!!