どーも!!
松村です!!
鶏が先か、卵が先か。
よく聞く文言だと思います。
哲学における因果性についての言葉です。
初めに卵を産んだ鶏はどこからきたのか。
その個体も卵から生まれて・・・とループしていき、始まりはどこかというもの。
言葉にも同様のことが言えます。
普通に考えれば、物があって、それを名づけた。
その瞬間、その言葉が生まれたわけですが、
では、そのときどう生まれたのか。
例えば、「犬」という言葉があります。
犬・・・古くから人間が飼い親しむ家畜の一種。
という説明がなされますが、
飼うとは、親しむとは、家畜とは・・・と掘り下げていくと、
どの言葉が初めに生まれて、どう定義づけられ、広まって、周知されたのか。
どこが始まりなのか。
鶏と卵の話に比べると、たいした問題ではないように感じられますが、
一番初めの言葉がどのように生まれたのか。
かなりの難題です。
これが解明されることはあるのでしょうか。
人がその他の動物と違う点として、言語によるコミュニケーションが挙げられます。
言語という発明は、それほどのものだったわけです。
言語が無ければ、考えることが発展しなかったでしょう。
今頃、科学も文化も、無いに等しい状態だったのではないでしょうか。
その言語を読み解いて、考える。
それが国語の根本だと思います。
数学よりも理科より社会より一番最初の発明を駆使するわけですから、
当然奥が深くなる。
それが国語だと思います。
しかし、そんなに難しいことではなく、逆に古くからあるからこそ、
親しみ深く、遺伝子レベルで染み付いているものだと思います。
国語が苦手、嫌だと思っている子には、
その意味の深さを知ってもらえれば、もう少し身近に感じてもらえるのではないだろうか。
そう思う松村でした!