戦争が終わって68年がたつ今日です。
以前も話したことがある少し真面目なお話を。
「命のバトン」
歴史を学び、その経験を学び、そして今を生きる世代に共有し、次の世代を担う子どもたちに伝えていくことをもっと考えなければいけない。
そのために私が思うのは、老人を敬える社会を作っていくことだと思います。
老いることを悪いこと、害であることのように扱う風潮、ありますよね。
アンチエイジングなどの言葉に代表されるように、年を取ること、老けていくことは忌み嫌われることであるような社会です。
実際、昔のように体が動かなくなったり、色んな部分で老いを感じ、嘆く気持ちもわかります。
私だって年を取らないように日々のトレーニングや勉強、ケアはやっていますしね。
しかしそのことと、「老い」てしまった人、すなわち「老人たち」を蔑んだり、厄介者として扱うことはまったく別物だと思います。
今、お年寄りが尊敬され、生きがいを持って生きられる社会であるといえますか。
このブログを読んでいただいている人たちはおそらく、バトンを渡す側ではなく、バトンを受け取る側の人であることがほとんどでしょう。
考えてみてほしいのは、心から「老人を大切にしよう」と言えているかということです。
電車でおじいちゃんおばあちゃんに席を譲る姿に「お情け」的な感情は働いていませんか。
情けという感情は横の関係ではありません。上から下に向かってベクトルが向いている、本来敬うべき相手に対して全く逆の構図なんです。
福島原発の事故で特別避難地域に指定された村で、「お墓に避難します」という遺書を残して首吊り自殺をした93歳の老婆の話を知っていますか。
故郷に住みたい気持ちもあったでしょうが、年寄りが一緒に避難することで周りに迷惑をかけてしまうことを苦にしていたという話もあります。
老人を大切にしないという社会の風潮と、「現在」だけを見て、「未来」を語り、それまでの「過去」すなわち「歴史」に対して尊敬の念を持たないことは現代において似通っていることだと思います。
こんな社会に未来はあるでしょうか。
「命のバトン」をつなぐためには、老人を敬い、老人たちが誇りを持って生きられるような社会を作っていかなければいけない。
少し話が変わりますが、今、私が東北で取り組んでいる活動は、震災で教育の場を失った、あるいは学ぶ機会が減ってしまった子どもたちのためだけではなく、老人たちが安心して暮らし、それを若い世代が支えていけるような環境を整えていけるようにするためでもあります。
たとえば、ソーシャルファームといって、震災で家も身内もなくした人たちが一緒になって畑仕事をする農場。
ここでは一人暮らしの老人たちが集まり、農作業を通じて知り合いを作り、生きがいをもって暮らせるようになります。
同様に、引きこもりやニート、不登校の子どもたちにとっても、社会へ復帰していくための場所ともなります。
このモデルはすでに被災地だけではなく、沖縄や九州でも紹介され、今後全国的にそういった独居老人や引きこもった若者たちのいる地域で使われていくでしょう。
不登校の生徒が桜塾を通じて学校に行ってみようかな、将来のことについて考えてみようかな、と思えるようになったのと通じるところがあると私は思っています。
話を戻します。
未来ある社会を作るためには、今だけを見るのではなく、過去を振り返ることが大切で、
それはつまり、年配者、老人たちを敬うことが大切だ、という話でした。
そのためには年を取ることに対しての考え方も変えていく必要があると思います。
誕生日のときのブログで話すことに、私は年を取ることが好きです。
なぜか。
それはそれより以前の自分よりも確実に成長した自分と出会えるからで、
年を重ねることは知恵を重ね、成熟していけることだと思っているからです。
体の衰えは自分の努力しだいである程度は何とでもなります。
ゆえに自分より1年でも長く生きた人にはそれだけで尊敬の念を持ちます。
同じように、年長者への畏敬の念は忘れません。
絶対に何か自分の知らないこと、勉強になること、経験したことのないことを知っている、それを伝えてもらえるように関わりたい、と思っています。
それが「命のバトン」を引き継ぐことにつながると思っているからです。
お盆休みの機会などで普段会わないおじいちゃんおばあちゃんに会う人は、昔の話を聞いてみましょう。
説教臭くなってしまっても、「うんうん」と聞き、どんどん質問しましょう。
聞きたくても聞けなくなるまでそれほど時間は残っていません。
時間のない受験生たちは、受験が終わった春休みに、ご報告をかねていきましょう。
戦後68年。
生活はとても便利で豊かになりました。
それは自分たちのずっと前に頑張ってきた人たちがいることを少しでも頭の片隅に置いておこう。
お年寄りを大切に。
この言葉の意味をもう一度考える、そんな時間をとってみませんか。
では、今日も今までの人生で最高の1日にしよう。
やるべきことをきっちりとやりましょう。では!