こんにちは。
暑い夏が続きますが風邪などひいてませぬでしょうか。
知り合いのドクターが言っていましたが、夏風邪は意外に長引いてしまうことがあるため、免疫力を高めておくことが大切、ということです。免疫を高めるためにいいのが「乳酸菌」であるとか。
ヤクルトやピルクルを買おうかな。
さて、今日は被災地で知り合ったメンバーの Shun Sakaguchi君が興味深い話をしていたのでシェアしたいと思います。
ちなみに彼の紹介を軽くしておくと、横浜生まれのアメリカ育ち。上智大学を出たバイリンガル(母国語が英語)な20代のイケメンで、かつシンガーソングライターです。ハモネプで優勝したりテレビにも度々出ていました。
ここまで聞くとすごい経歴ですが、震災後、足しげく被災地に通い、地元の方々と一緒にアカペラを歌う活動を通じて、自分の歌をキッカケに人が心を開いてくれる体験をしたことから、「自分の歌が、誰かの力になれる」と実感し、本気でプロの歌手を目指そうと思ったそうです。
今はアメリカと日本を行き来しながら音楽活動を続けています。
本題はここからで、そんなネイティブの彼が最近のカタカナ英語について発していたコメントが面白かったので読んでみてください。
外来語のカタカナ用語を、元の言語でどういう意味かを知らずに、日本語としての独自の意味合いのみで使っている日本人があまりに多いことに気が付いた。例えば「コンペ」とは「コンペティション」の略で、もとは「compete」「競う」という動詞が語源となっている。人によっては当たり前の知識かもしれないけれど、時によってその元の意味を知らない事で本質と少しズレた使い方をしてしまっていたり、また例えば違う国の言語を学ぶ際にその語源となっている単語に巡り合っても気付かない、知った瞬間に「えー!」ってなる場面も、良くある。
日本は日常的に外来語で溢れていて、それらの語源、本来の意味に興味を持つと理解も深まるし見識も広がると、個人的には思う。「ディスる」「バイブス」「チルってる」なんてのも非常にセンスフルで、勝手な推測ではあるがおそらく何処ぞの国際教養学部やSFC、渋谷のビッグ◯ンを根城にしていたインターの学生達が編み出したのではなかろうか、はたまたアングラJ-HIPHOPやラップコミュニティのアイデアなのか、確かに日本語で訳した言葉では形容し切れないニュアンスを見事…に捉えていて、かつ使い勝手も良い。好き嫌いはさておき、流行るのも頷けるが、元の意味や経緯を知らずに使うと、使い方や場面がダサくなったりするんじゃないだろうか。実に勿体無い。ちょっと路線が違うけどお店の「STUFF募集中!」なんてキュートな張り紙も、そういうところから来るんじゃないか。「スタッフ」というカタカナのみで覚えてしまうからこうなる。物募集してどうすんの。”featuring”なんだから「フューチャリング」にはならない筈だし、そしてDesertは食べれません。
脱線した。
今の時代、手元のスマホでググれば一発で丁寧な解説がウィキペディアに載ってたりして、大した手間でもない。聞き慣れないカタカナ単語を聞いた時に、「これ元々何語なんだろう?」と、疑問に思う人はあまりいないのだろうか。それこそ英語を学びたい人なんかも、この意識一つで大分上達が速い気がする。
自分の身の周りの、既存のものに疑問を持つ、というのはあまり普通ではないのだろうか。疑問を感じる、投げかける事を遠慮、躊躇している節すらある。そこに何かマイナスな事が、不都合が生じるリスクがあるんだろうか…?確かに自分の場合はあまりに学校の先生や教授に質問し過ぎて「流石に質問多過ぎだ!」とウザがられたけど、そのぶん結果的に仲良くなれたし結果オーライかなと笑向こうはそう思ってないかも知れない笑
それでもやっぱり、進化、上達、改善には、疑問を持つ事が大切なんじゃないかなと思うのです。自分も本当に日々勉強。周りには不思議な事、学べる事がとっても多い。
前半の彼の紹介をしたときに、「生まれが違うよ!」「彼だけ特別なんでしょ!」という思いを少なからず持たれた人もいるかもしれません。
が、彼もまた一人の人間であり、色んな悩みや問題を抱えて生きています。(実際大変そう)
彼のコメントにある、
学校の先生や教授に質問し過ぎて「流石に質問多過ぎだ!」とウザがられたけど、そのぶん結果的に仲良くなれたし結果オーライかな
とか、
進化、上達、改善には、疑問を持つ事が大切なんじゃないかなと思うのです。自分も本当に日々勉強。周りには不思議な事、学べる事がとっても多い。
とかって、誰でも自分次第でできるようになることですよね。生まれや置かれた境遇などを言い訳にするのではなく、今持っているものを武器として、しっかり磨いていこうよと思うわけです。
さあ、体調管理に気をつけて、今日も自分のレベルを上げる努力をしよう!