昨日のタイトル「何のために勉強するのか」に続いて、
今日は塾長の個人的な意見を。
ときどき、生徒を前に「何のために勉強するか」という話をする。
学校の先生的なことを言うと
「将来のためだよ」
「就職するときに便利だからだよ」
「たくさん勉強することで、夢が叶うからだよ」

たぶん、いまどきの子どもには(そして塾長が子どものときも)心に全然響かない常套句の数々。
将来のこととか、就職のこととか、ましてや自分の夢を、今のうちからはっきり持っている子どもがどれだけいるか。
大人だって、今自分がやっている仕事をいつからそうだと夢見ていたか。
「○歳のときから、俺は(私は)、この職業に就こうと思っていた」
なんて言える大人が、どれだけいるだろうか。
いわんや子どもにおいておや、ってかんじである。
そんなよくわからない未来のことのために、せっせと今のうちから勉強する子どもがそういるとは思えない。
子どもが勉強する理由なんて決まっている。
何かよくわからんけど、勉強楽しいし、いい点取りたいし、またはやらないと怒られたり、テストで悪かったら恥ずかしいから、やるのである。
そこを勘違いしてはいけない。
形にない漠然とした将来のためにやっているのではない。
「アリとキリギリス」のアリは子どもの姿ではない。
塾長は授業ではっきりという。
「何のために勉強するか?そんなん答えは1つ。モテるからやん。」
「勉強できたら、周りからチヤホヤされるからやん。」

こんなことを言うと、生徒は一瞬ポカンとする。
「この先生は何を言ってるんだろう?!?」
けど塾長は続ける。
「君らが、テストでいい点取ったときと、悪い点取ったとき、おうちの人や友だちのリアクションはどないや?」
生徒たちは答える。
「いい点のときはほめられたり、すごいなぁって言われたり。でも、悪い点のときは怒られたり、自分が恥ずかしくて嫌な気分になる、かなぁ。」
「君らは勉強は嫌いやろ?けどテストではいい点欲しいやろ?」
もちろん彼らは頷く。
「楽していい結果がほしいのは君らだけじゃないんやで。大人だってそうやで。だけど、頑張らないと結果は出ないのもわかってるから、今必死になってやってるんやろ?」
「今君らが言ったように、結果に出れば周りは君らをほめてくれるし、すげえなぁ!って言ってくれる。周りがわからんかった問題とかを自分が解けたらどうや?やっぱおおっ!って見られるやろ?」
「来年、君らが高校に入ったとき、誰かに『君、どこの高校なの?』って聞かれたとき、自分の高校を自信持って○○高校です!って答えたいやろ?」
もちろん彼らは頷く。
「世の中学歴なんて関係ないよ!なんて言う奴がおる。けどその反面、学歴で君らを判断してしまう部分っていうのは、これからも消えないんやで。」
「そして実はこれホンマの話。学歴なんて関係ないって言う奴ほど、学歴ないから言うんやで!そんなこと言う奴らを見返すためにも、今の自分変えてみようや。」
「・・・やから、勉強、せーへんか?」
みたいな。
実際、勉強する理由の根本はそこにあると思う。
勉強そのものが楽しいという、勉強の本質に気づいて勉強する子たちはそれでよい。
だけど、大部分の子たちは勉強そのものの楽しさにどこまで気づけているか。むしろ勉強はしんどいもの、逃げたいものの対象ではないか。
今目の前にある享楽のほうに飛びついてしまうキリギリスが子どもたちだと思う。
そんな彼らを勉強に結びつけるためのもの。
それは「頑張った先にある色んな形での結果」しかない。
それは先に述べた「将来の夢」でもいい。
ただ、いまどきの子はそんな形の見えないものでは動きづらい。
もっと、今の自分に利益になる、即効性のある報酬。
例えるなら、食べたことのない高級品より、味を知っているおいしいお菓子を与えてあげることが必要だ。
「勉強したらモテるで。」
付け加えて、「ほら、やから先生らモテてるやろ?笑」なんて言ったりするが、彼らをその瞬間にやる気にさせるこれ以上の言葉はないと思う。
勉強ができることは、いいことなんやで。
頑張ってる姿はめっちゃカッコいいで。
できんかった問題ができるようになった、めっちゃすごいやんか!

そんなことを1つ1つ、一緒になって教えていけたらなぁって思う。
さぁ、今日もカッコいい自分、『理想の自分』を目指して、寝る前には自分を褒められるようなNEVER BETTER(これ以上ない)1日を送ろうか!!